アジャシャンティ « Resonanz360
イギリス等でミーティング(サットサン)に出ると、参加者同士の会話でよく聞くのがConscious TVです。イアンとリナータのマクネイ夫妻が運営するサイトで、非二元(ノンデュアリティ)の教師たちやスピリチュアルのリーダーのインタビュー動画を多数提供しています。
僕自身も、Conscious TVの中で非二元に関するものについてはほとんど視たと思いますが、夫妻のそれぞれの個性が出ていて、たとえばルパート・スパイラについて言えばイアンの分とリナータの分が両方提供されていますが、テイストが異なって面白いです。
奥さんのリナータの方は、英語については非ネイティブということもあってか、大丈夫かなという感じに見えることもあったりするのですが、非二元やアドヴァイタの逆説的な部分について分かったふりをせず、「全然分からない」という感じをそのまま表現しているので、僕はかなり好きです。
そのリナータ・マクネイがアジャシャンティ(Adyashanti)にインタビューした模様が、今月以下のように公開されました。
Adyashanti Awakening
自由に印刷可能な聖書の着色シート
アジャシャンティが自身の覚醒・目覚めについて語ったものです。内容的には過去のインタビュー記事や彼の著書で公開されていたものですが、彼自身の口で語られるのは初めて見ました。
僕は実はアジャシャンティにはあまり惹かれていませんでした。彼の著書において、あまりにきれいに覚醒や悟りが説明されていて、マインドが安心できてしまう感じがしたことが大きいです(ラメッシ・バルセカールに対する違和感と似ています)。それに、不用意に自身のストーリーを語りすぎるという印象もありました。
それから、昨年参加したSANDカンファレンスであまりにスター的に脚光を浴びていて思いっきり引いてしまったのも大きいです。
ですが、今回のリナータによるインタビューを見て、そういう印象はなくなりました。すごくチャーミングな笑顔や、自分の覚醒体験について語りながらもそれが非個人的な性質のものであることが滲み出ている感じには、強く惹かれました。
また、他の教師の場合、リナータが変な質問をすると一瞬「え、何それ(この人、私の話聞いてたの?)」というのが顔に出たりするのが面白かったりするのですが、アジャシャンティはこのインタビューでそんなときも実にスイートな感じの笑顔で楽しそうに対応しています。
私たちは日曜日の夕方のサービスを提供している必要があります
これを視て、どの教師のどのメッセージが正しそうかな、というチェック的視点で接するのではなく、響くことが響くのに任せればそれだけで結構楽しいじゃないかという当たり前のようなことに気づきました。
何かが溶けたような気持ちよさです。
なお、インタビューのうち、アジャシャンティの覚醒がどんなものだったかという部分について、以下簡単に訳してみました。
・25歳のときに最初の体験(opening)があった。瞑想しているときに意志の力で強くフォーカスしたが、ある瞬間に「もう無理だ。自分にはできない。悟りは起きない。もう負けた」という洞察を得た。その途端、エネルギー的な変化が始まり心臓が非常に激しい鼓動を始めた。「これでは死んでしまう。オーケイ。もう今死んでもいい」と思った瞬間、異なる次元に移った。無限の何もない漆黒の空間で、身体もなく自分もいなかった。あらゆる洞察が一気にダウンロードされた(早すぎて一つ一つの内容は認識できず)。それから身体に戻りエネルギーが落ち着いてから立ち上がった。大笑いした。自分がずっと追いかけてきたものは自分自身だったのだということが分かった。そのとき、「よし。でもこれが全てはない。続けて」とい� �声が聞こえた。その声に素直に従った。
あなたは何歳僧侶になることをする必要はありません
・その後、探求、追い求めることは止まった。が、瞑想は続いた。自分が生まれることもなく、死ぬこともない存在であることは明確になっていた。ただ、正確に自分が何であるのかということはクリアではなかった。この期間は6〜7年続いた。
・それから深刻な病気になり六ヶ月伏せていた。その後、二度目の病気になりまた六ヶ月続いた。
・結婚し、それは素晴らしかったが、そうした現象では自分が満足できないことが分かった。スピリチュアルな何かが未完であることに気づいた。
・ある時、鳥のさえずりを聞いた。その時、鳥も、さえずりを聞くことも、聞く人も、すべてが一つであることを知った。分離はなかった。とてもシンプルなことであり、同時に驚くべきことだった。これは感情的な経験ではなく、法悦的な要素もなかった。純粋に一なるものを知っていることだった。ストーブもトイレも同じように一つだった。リビングルームを横切ろうとしたとき、一なるものの認識は消え、空の無限性があった。一なるものの認識がそこから現れるそれ。そして、一連のビジョンが数珠つなぎに現れた。ひとつひとつが自分の別の生だった。特に死にまつわる混乱がそこには表れていた。それぞれに対して必要なことを伝えるとビジョンはひとつひとつ消えていった。その間、自分はいなかった。ただ意識がそれ� ��していた。
ということで、これを文字で読むとドラマチックすぎて悟りや覚醒に不要な投影をしてしまうかもしれません。が、上のインタビュー動画でこの話を聴くと、不思議とそんな感じを受けません。それが面白いと思います。
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